お元気ですか。
私はインドの北部、チベットとパキスタンの国境にほど近い
LEHという街に住んでいます。
海抜3500mはあると思います。
夜と昼の気温差が30°C以上あるこの街は、
とても神秘的なムードが漂っているのです。
一 一人の日本人女性に会いました。
彼女は、ある男の人を迎えにこの街に来たそうです。
彼は東京の学生で、このLEHの街からさほど遠くない村の
Gonpa(ラマ教の寺)に住んでいました。
ラマ僧たちとの生活がえらく気にいったのでしょう。
街にはほとんど出ず、いでたちはまだ旅行者の面影を残していても
心はとうに離れていたにちがいありません。
週に一度は彼女の元に手紙が届いたそうですが、
内容といえば、マンダラがどうしたとか
大宇宙のことやら大日如来など密教に関することばかりで
宗教に興味のない彼女には
はじめのうち何のことやら、さっぱりわからなかったそうです。
それでも元気にやっている証明みたいなもので、
それだけでうれしくて必ず返事を出していました。
彼は遠く離れた文明国、日本からくる手紙をどう読んだのでしょう。
ただ、ありのままに受けとめていたのでしょうか。
彼の使っていた質素ではあるけれど
掃除のいきとどいた部屋にあった彼女の手紙は
封も切らずに、きれいにたばねてあったそうです。
何を思っていたのでしょう。
何を求めてラマ僧と暮らしたのでしょう。
密教にとりつかれたのでしょうか。
生きる糧を見いだしたのでしょうか。
彼は遺書も残さずインダス川に身を投げました。
ただ前の晩、ラマ僧の修行中の子供たちと遊びながら
夜空を見上げ、こぼれるほどの星々にみとれ
このまま一生送れたら、と一人つぶやいていたそうです。
子供たちの一人が彼といっしょにいたおかげで
かなり日本語を覚えたらしく、そんなことを言っていました。
葬儀はラマ僧に見守られながら、ひっそり行なわれました。
彼女はこの街に来てから数日の間、一度も涙を見せませんでした。
遺骨を抱いてSRINAGAR(ジャム・カシミール州の州都)に
向かうバスに乗り込む時も(バスで丸二日はかかる)
「私は生きます。彼の後を追ったりはしません。
それを彼が望んでいるわけでもないし、
いつだってこの空が私を守ってくれるような気がします。
力強く生きます。
彼がたどったインドの足跡を確かめながら日本に帰ります。
きっと強く生きてゆけると思います。」
と、私の返事も聞こうとせず、彼女は自分の座席に着きました。
顔つきは、もういっぱしの旅人です。
幾多の苦難を乗り越えて、それでもなお
旅を続けようとしている力強ささえ感じ感じられたほどです。
結局、私は彼女に何もしてあげられませんでした。
今はそれでよかったのだと思っています。
この街は一人の人間を慎しく、敬けんな気持ちにさせてくれる
不思議な魔力があるようです。
あれから彼女がどうしているか知りません。
けれど、きっと力強く生きていることでしょう。
一人の人間の死は、この街の何も変えることはなかったけれど、
一人の人間の生涯に力強い息吹をそそぎこんだにちがいありません。
P.S.
この国は論理を越えた、何か大切なものが存在しているようです。
毎日6:30〜11:30まで電気がつくのですが、
それも週に二度は休みになります。
そして、今、ローソクの元でペンをとっているしだいです。
それだは、又。
14. Sep. 86. 真夜 LEH LAbAKH
すれちがう車もない道を
何時間も走り続けてくると
やけに人恋しくなる。
遠くに街が見え隠れすると
なぜか期待と不安が行き交う。
65年前、ディズニーが
兄とともにハリウッドにやって来たと時、
彼のポケットには40ドルしかなかったという。
当時、彼は、どんな気持ちで西へ向かったのだろうか。
1900年からの10年間で、
新大陸アメリカに夢を賭けた移民は、
850万人を越えたという。
去年の夏。
古い友人、ケリーのホームタウンを訪れた。
ベニスビーチに入ってすぐ
最初のバーガーショップの前で車を止めると
目の前を真紅の自転車が通り過ぎた。
ドアを開けると、
ずっと太陽に照らされ続けた空気が外に逃げていった。
夏の人ごみはどこにもなく、犬だけがやけに目についた。
午後の陽射しは、道路に長い影をつくり、
ゆっくりと水平線に近づいていった。
サンセットを見ていると
あの頃のことを想い出した。
ケリーといっしょに麦刈りのバイトをしたのは、
もう10年も前のことになる。
陽射しをさえぎるものの何もないところに何時間もいると
夜のバーが、砂漠のオアシスように感じた。
そういえば、彼はあのバイトの金で
新しい自転車を買ったのだろうか。
ひさしぶりの町には、バイパスができていた。
山道に入り、しばらくすると霧雨になった。
雨に煙る森が、見知らぬ町のようでもあった。
この時期、このへんに霧雨はめずらしい。
アスファルトから解放されたような優しい感じがした。
学校を卒業したその年の夏、僕たちはこの場所にいた。
ふたりで出かける時は、いつも彼女が弁当を作ってきた。
今思うと、フォーシーズンズホテルの食事よりもすばらしいようなきがした。
女は、未来の自分を語り、男は、夢を話した。
女は、犬と暮らしたい、と言い、男はキミと暮らしたいと、言った。
彼女は、明るい性格で
はっきりした影ができるくらいの
強い陽射しが好きだと言っていた。
ふたりでいるときは、いつも晴れてたよな気がする。
麦わら帽子の影が
彼女の小さな顔に柔らかい影を落としていたのを
いまでも覚えている。
土曜日の午後、海ほたるに行った。
さえぎるものの何もない景色。
海の香りのする風が優しかった。
日没までいるだけで、実に多くのことを知った。
風向きひとつで、運がかわる…。
あさり丼を食べ、夕陽を見ながら、あの頃のことを思い出した。
小学校の頃、同じクラスに海のすぐそばに住んでいる少年がいた。
誰もが彼のことを「サカナ」と、呼んでいた。
彼の父は漁師で、家にはいつも新鮮な魚があった。
家の前に堤防があり、いつもそこで遊んでいた。
夏休みの初め、その場所に行った。
いつもと同じ場所に彼がいた。
魚の絵を描いたそばに立ち、何も言わなかった。
近づくと本物の魚が泳いでいるようだった。
9月になり学校が始まったが、教室に彼の姿はなかった。
帰り道、カーステレオでロカ・アレグリアを聴いた。
草原の輝きのような声とメロディが
大陸的な美しい女性ヴォーカリストを連想させた。
僕は、海ほたるに行ってよかった、と思う。
そして、魚の絵はもうない。
ロカ・アレグリアは、今でもたまに聴いている。